横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

美少女との同居を探る。 ~「一つ屋根の下」の裏側~

春アニメ『僕らはみんな河合荘』第1話をようやく視聴。

「ボロアパートで美人と同居」という設定だけは聞いてたので、『めぞん一刻』あたりの直系だろうと思っていたのですが、演出や色遣いは『氷菓』1話の影響のようなものを感じる始まりでした。言葉を選ばずに言えば、くどい。

この「美少女と同居」という状況は、漫画・アニメ・ゲームなどの分野と切り離せない関係にあります(その反面、実写のドラマではあまり見かけない気がする)。金字塔はもちろん『めぞん一刻』。先日取り上げた『名探偵コナン』もそうだし、エロゲやギャルゲは美少女と同居することがほぼ当たり前。ちなみに私は『世界でいちばんNG(ダメ)な恋』を推します。

それだけ「美少女との同居」はオタク文化の中でありふれたものになっています。じゃあその中で『河合荘』とか『めぞん一刻』のポイントになってくるのは何なのだろう、ということを考えてたのですが、つまるところ集合住宅、それもボロアパートでの同居ということが重要なのかな、と。

 

集合住宅は、「美少女との同居」という状況をすんなり組み込める、というのが大きい。一戸建てに女の子が転がり込んでくる、逆に転がり込んでいくなんてのは、問題にされる事柄なのです。「ダメだ、女の子と一つ屋根の下で暮らすなんて!」と叫ぶ主人公を私は何度見たか知れません。女性側が同居に納得しているのにそういうことを言い出す連中は嫌いです。

やれ男との同居は危ないだの何だのと難癖をつける主人公をたまに見かけますが、男の側が気を付けて理性を抑えればいい話ですから。世間の常識に照らし合わせて同居を反対するにしても、それって体面の問題ではないかと。

たとえば『コナン』では新一を幼児化させることによって、そのリスクを減じている。蘭が17歳の新一と同居するのはまずいでしょうが、7歳のコナンであれば問題はない。結果としてコナンは、後ろ指を差されることも良心の呵責を感じることもなく、意中の女子との同居を手に入れている。あの作品でヤバいのはむしろ阿笠博士灰原哀って架空の存在だし、ジジイがどこからか幼女を連れてきて同居してます、だなんて通報されたら一発アウトだと思うんですが。

 

話を戻しましょう。「美少女との同居」が問題にされるのは、結局のところ世間体が悪いからです。でも集合住宅ならその問題は起こり得ない。まったくの他人が一つ屋根の下で暮らすのが集合住宅ですから。集合住宅で美少女との同居を始めることになった主人公が、「女の子と一つ屋根の下で云々」などとトンチンカンなことを言い出す作品はまずありません。彼らは自分の暮らす住居に美少女がいる幸運を神ないし運命にでも感謝して、存分にその状況に浮かれることができます。

その上で、『河合荘』『めぞん一刻』『ダメ恋』などといった「集合住宅での同居」においてボロアパートが舞台に選ばれるのは、「同居・共同生活してる感が強い」からです。

鉄筋のマンションで同居しても現代日本のせちがらい生活を思い出させるだけで面白みに欠けます(※1)。その点ボロアパートは、狭いし部屋どうしの境界線が割とあいまいで、住人が顔を合わせる機会も多いアットホームな環境。「一緒に暮らしている」という実感を強く湧き出させます。

でも集合住宅ゆえに、一つ屋根の下で暮らしているとはいえすぐに手を出すことはできない。一軒家で同居すれば、主人公とヒロインがその気になれば誰を憚ることもなく爛れた生活に没頭できますが、ボロアパートではそうもいかない。他の住人はいるし住居環境は悪い(部屋の壁が薄いとか穴が開いてるとか)から、おいそれと手を出すことが難しくなる。

薄壁一枚隔てた向こうに彼女がいるのに、だからこそどうすることもできない……そういうもどかしさ、ドキドキ感が「集合住宅での同居」ものにはある。

逆に言えば、いつでも手を出せるならそんな感覚は生じないわけです。再び引き合いに出して恐縮ですが、『コナン』は新一が小学生になっているがゆえに同居に対する倫理的ハードルが緩められている。でも『コナン』は別に同居モノでもないし、同居モノとして考えている人もたぶんそんなにいない。なぜならコナンは、その気になればいつでも蘭に手を出せるからです。

時計型麻酔銃のスペアを阿笠博士に作ってもらって、小五郎と蘭が寝ているところに1発ずつ撃ち込んでしまえば後はもうやりたい放題。頭脳は大人なんだから欲求も大人並みにあるのでは? と考えたことがあるんですが、もし彼が10代後半の欲求をすべて保持していたらそんなことも起こりうるのです。やっぱ阿笠博士ってヤバいわ。

 

だいぶ話がズレてしまいましたが、要するに『河合荘』とか『めぞん一刻』あたりの「集合住宅同居もの」は一見古くさいようですが、それ相応の魅力があるんですね。たとえヒロインとの関係が進展して、堂々と胸張って恋人を名乗れるようになったとしても、集合住宅で同居する限り決定的な一線を越えることは困難になる。そこに漂う「じれったさ」こそが、現代でも『河合荘』みたいなベタベタな作品がアニメ化する理由――すなわち、人が同居ものに感じるロマンではないかな、と思います。

え、ラブホ行けって?知らん知らん。

 

※1:マンションで同居してくんずほぐれつ、みたいな作品もあるにはあります。『ROOM No.1301』とか。