横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

2014春アニメ『キャプテン・アース』第1話感想 ~いま、颯爽登場のとき~

うん、作画が綺麗だったね。主人公機の変形合体でもうお腹いっぱいだね。ロボアニメってちょっとくらいは話が破綻しててもメカやアクションの作画・演出が秀でてればそれだけで楽しめるものなのですが、そういう点では特撮ヒーローものと大して変わらないような気がするんだよなー……。

ともあれ第一話。敵側の謎の合言葉とかいきなり入るキャラソンとか「ドヤァ」って感じのポーズで現れる敵メカとか随所に『STAR DRIVER 輝きのタクト』(以下スタドラ)っぽい要素があって、「焼き直しじゃねえかオラァ」みたいなことを言ってる連中もちらほら見かけるんですが、「宇宙+ロボ」という前作と同様の二本柱を立てたうえで、スタドラとはまた違ったアプローチを仕掛けてきたかな、という印象。

スタドラの構造っていうのは、かつて宇宙から飛来したサイバディ(ロボット)を巡って現代日本の人間同士が争う話。宇宙的要素が前面に押し出されてなくて、あくまでもロボはツールやガジェットとして存在している。で、この地球に残されたそれをどう使うのか、という問題。さらに言えば、南十字島という小さな星に、外部からやって来た(ある意味宇宙人とも取れる)タクトがぶつかっていく、そういう物語でもある。

これに対して『キャプテン』は、地球人である主人公のもとに宇宙人たち(たぶんテッペイとかあの褐色肌の女の子もそう)がやってきて、それをかき乱していく。で、この地球がかき乱されることも主人公にはわかっているらしいから、「あいつが来るのは止めなきゃ」となる。

 

もうひとつキャプテンとスタドラが違うんじゃないかと感じられる点は、主人公の父の存在ですね。アニメに限らず多くの物語で父親ってのは超えるべき対象として存在していて、そこはかとなくオイディプス・コンプレックスの香りを感じずにはいられないのですが、スタドラにおける主人公の父親ってのはまあ人としてどうかと思う青年で、ぶっちゃければクズなんですよ。他人様の婚約者を横取りしちゃったり、いろんなものが欲しくてまた別の女の子に手を出したり。内心バカバカしいとか思いながらもこっ恥ずかしい組織のリーダーとしてかっこつけた台詞を述べ、年甲斐もなく変な衣装を着ている。

そういう親父を倒したいと思っているタクトも、やってることは同じなのです。友人スガタの許嫁であるワコといい感じになっちゃうし、かと思えばミズノだの人妻だの次々に別の女の子とも仲良くなっていく。宝塚みたいな衣装を着て「銀河美少年!」と叫んでみせる。初めてタウバーンに乗る動機だって言ってしまえば女子のため。どう見ても同じ穴のむじな。で、一見親父と同じ、リビドー全開である主人公が、どう親父を越えていくのか?というのがスタドラの物語だったわけです。

一方キャプテンの主人公は父親に対してプラスの感情、憧れめいたものがあって(それだけではないことが今後説明されるかもしれませんが)、「このクソ親父今すぐしばき倒すぞコラァ」という感じではない。で、キャプテンというキーワードがあって、自分は父親のようなキャプテンらしい男になれるかどうかわからないけど、それに関係なく今やらなければならないことがある!と決意してメカに乗り込む。

タクトとダイチは父に対する感情のベクトルが違うし、立っているスタートラインもたぶん違う。同じ物語にはなりえない。だからこそ、表面に見えている要素がスタドラに似通っている中で、どうスタドラと違う物語を見せてくれるのかというところに期待が持てる。スタドラもかなり好きな作品なので、スタッフ発表時から本作には少なからぬ期待を寄せていたのですが、とりあえず掴みは上々かなーと。

 

あと前々から思ってたんですがタウバーンってどう見てもカラーリングがウルトラマンで、スタドラというのはウルトラマンが地球で戦うような話だなーと思ってたんですよ。ところが今作ではデザインの流れは似ているけどもずいぶんマッシブかつ機械的になって、戦闘の舞台も宇宙に移しちゃって、これは新しいウルトラマンだな、と。ちょうど今ハヤタの息子を主人公に据えた『ULTRAMAN』って漫画がありますけど、『キャプテン・アース』はスタドラというウルトラマンに対する『ULTRAMAN』なのかなあ。とにかくそんな感じで、これから半年楽しんでいけそう。