横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

運動靴文庫は原子力文庫の後追いでもしているのか

ちょっと本屋に立ち寄って売れ筋らしき平積みのライトノベルを何冊かぱらぱらやっていたのですが、挿絵といい中身といい過激になったよねえ(遠い目)。その一方で文体は平易と言うにはいささか頭が悪いものも結構あって、ジャンルの栄枯盛衰とかと関連付けて色々と考察してみると案外面白くなりそう。いや、たぶん私はやらないですが。

愚者と感情複合――冬のロボアニメについて

春アニメが始まる直前になってようやく溜まっていた冬アニメを一通り消化。全部を鑑賞しているわけじゃありませんが、「これは!」という光るところを持った作品はあんまり多くなかったように思う。全体を通して印象に残っているのは先日記事を書いた『サムライフラメンコ』なのですが、声優の熱演が光ったという点において『キルラキル』を挙げておきたい。特に朴璐美田村ゆかりの悪役二人の演技が飛び抜けていた。やっぱり声優ってのはすごいね。

 

さておきこの春はロボットアニメがやたらと多い、という話をちらほら見るのですが、反面冬のロボットアニメは少なかったというお話。そのうち私が最後までちゃんと見ていたのは『ノブナガ・ザ・フール』と『バディ・コンプレックス』なのですが、今回は前者についてちょっと言いたいなーと。

『ノブナガ』開始当初はかなり楽しんで観ていたものの、ジャンヌが自分の機体を手に入れた8話辺りからいまいち面白く感じなくなってきたんですよね。で、それはなぜかという疑問についてここしばらく考えていたわけです。ひとつ確かなこととして言えるのは、西の星の連中がまるまる残っているのにいつまでたってもカエサル1人を相手にしているせいで、テンポが悪く感じられるということ。織田信長を主役に据えて戦国を舞台にするからには、国捕りものであるに違いない。加えてロボットというのは日本のアニメにおいてはわかりやすい「力」の象徴でして、手に入れた場合はそれをどう扱うか、手に入れない場合はロボットにどう対抗するか、というのが物語の主軸になるわけです。

ノブナガは1話でザ・フールという力を手に入れましたから、後はそれをどう扱い、戦国乱世を戦っていくのか――という物語になるはずだと思っていました。この手のストーリーとしては、主人公が自身の未熟を機体性能で補いつつ成長していくというのが定番なのですが、どうもザ・フールはそこまで圧倒的なロボットというわけではないらしい。むしろ敵として立ちはだかるカエサルのクォ・ヴァディスの方がよほど見せ場が多い。ロボットアニメのお約束である「主役機が活躍してカタルシスを得る」という展開がろくにないのと、前述のテンポの悪さが相乗して、なんとなくつまらない感じをかもし出している、というのが実際のところかもしれません。

 

そこでふと思ったのは、私だけだという可能性も否定できませんが、ロボットものを観る人間というのは、それを視聴する時にたいていそのようなパターンを期待して観ているのではないか、と。ロボットものに期待されるものと言えばもちろんロボット同士の戦闘、もっと言えば主人公側のロボットが敵側のロボットをやっつけるシーンです。そして前述の通り、ロボットという並外れた「力」をどう手に入れ、どう扱うか――というのが本編の大きなテーマの一つになったりもするのですが。

このような流れは、特撮ヒーローものに通じるところがあるように思います。冬季のロボアニメ『バディ・コンプレックス』はこの辺りの基本を外さずに作られているという印象を強く受ける作品でした。青葉とディオが喧嘩しながらも、なんだかんだでカップリングした機体による無双で敵を蹴散らして次回へ、というカタルシスを持った流れのエピソードが少なくなかったからです。一種の様式美として完成されているというか。かなり「特撮ヒーロー」っぽいな、という気がしていました。翻って『ノブナガ』は、主人公機がちゃんと活躍しているシーンというのがかなり少ないし、カタルシスを追求する作りでもない。空から降ってきた女の子&メカに出会うなんて定番のような始まり方や、ノブナガを中心にした複数の三角関係を形成するなどといった、従来のロボットものでも割と見られた要素が投入されていますが、ロボットものとしてはけっこう邪道な部類に入るのではないかな。ロボットアニメの求道者ではないので似たような作品が他にある、という可能性は否定できませんが。

 

で、最終的に考えついたのは、『ノブナガ・ザ・フール』はロボットアニメではないのかもしれない、ということ。茶会のエピソードでノブナガによって説明されましたが、本作では多くの武将たちがアーサー王の目論見に沿う形で「力」を追い求め、その争奪を繰り返してきた。アーサー王がどのような人物かは深く描写されていませんが、その思惑通り力ばかりを追い求めているわけにはいかない、とノブナガは語る。それを扱うキャラクターの器の大きさこそが肝要だと言う。

現在のアニメ・ヲタク市場において何よりも優先されるのはキャラクターです。強烈な魅力を持っているか、あるいは二次創作という広がりを見せることが可能なキャラクター。そういった部分がノブナガの言うところの「器の大きさ」と捉えることも不可能ではないと思うんですよね。つまり『ノブナガ』はロボットアニメの体裁を借りていますが、実際は何かもっと別のことを、例えばキャラクターという存在についてアピールしたい作品なのではないかな。「ノブナガが天下統一して世界を救いました」ではあまりにベタですし、最終的な落としどころをどうするかという点と併せて、先が気になる作りにはしてあるんですよね。いまいち盛り上がりに欠けるのは否定できませんが。残り半分でそれが片付くのか?という大きな不安もあるのですが、後半戦もぼちぼち楽しんでいくこととしましょう。