横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

『キャプテン・アース』第5話感想 ~父をたずねて三千里~

連休に風邪引くとヤバい。祝日続きでやってる病院は少ないし、なかなかすっきり治らないしで、ほんとに参った。というかまだ治ってない。

とりあえず、風邪を引いた直接の原因である

いきなり車内の冷房を全開にしたバスの運転手は、許さん。

 

さて、こんな序盤から出てきちゃったよテッペイの親父! という特大の衝撃(個人的には)をもって登場した新キャラ・嵐エイジ。厳密には遺伝子提供者ということで、一筋縄ではいかない親子ですが、スタドラ視聴者なら声を聞いた瞬間に「これはアカン奴や」と誰もが思ったのではないでしょうか。

そう、泣く子も黙るダメ親父・ヘッドを演じた石田彰氏です。

でも実際のところヘッドはもちろんタイヨウ(ダイチの父)とも司令(アカリの父)とも違う「第三の親父」だったんですが。そして今作では初の、子供(個人)のために生きる父親かな。

タイヨウも司令も割と責任ある立場に就いていて、公共のためというか、人類のために戦っている(いた)ようなところがある。もちろんそこには彼らの子であるダイチやアカリも含まれてはいるんですけど、我が子のためだけに戦っているわけではない。

その点エイジは我が子を守るために犯罪にまで手を染めているということが語られて、今回でもテッペイのために一人だけ投降するなど、「これぞ親!」とでも言わんばかりの態度を見せつけました。

けれどもそんな親心は、自身をキルトガングだと認識したばかりのテッペイにとっては、いまいちぴんとこない様子。人間の組織の対立とか派閥とかめんどくさいものに振り回されながら、不器用な関係を築こうとする父と息子がどうなるか、というのは、今後の大きなポイントですね。

あっさり捕まったかと思いきやあっさり脱走しちゃったエイジですが、この物語をどうひっかき回してくれるんでしょう。

 

そんな親子二人を引き合わせた、今回の立役者であるところの司令。前回までを見てもわかる通りダイチやハナ、テッペイに対してかなり「親」らしく振る舞ってみせているのですが、その親心が実の子に向けられてないというのが、気になるところでもあり。

現状ではアカリの方が気にしてないような態度を取っていて、司令がそれに甘えている、という構図のような気がしますが。遠からずアカリのこの危うい部分が爆発するんじゃないかなーという期待が私の中で無駄に高まっていて、すごく楽しみ。

 

で、今回のエピソードを観終わって考えたのは、オープニングテーマのサビの歌詞について。

「笑顔も涙もきっとすべて きみに出会うための理由だった」

「明日がある たったそれだけで僕ら生きる意味になって そしてまた日が照らすよ」

これ、今までずっと恋愛とか友情のこと言ってるんだと思ってました。ダイチとテッペイないしハナの関係を表現したものだと。それはそれで、割とありがちな言い回しではあるなあ、と考えてたんですが。

もしかして、親と子のことを歌ってるんじゃないかな? と。

子は親の背中を見て育つ、なんてのはよく言われることですが、つまり親にとって子供というのは(必ずしもすべての親子がそうだとは言いませんが)自分という存在を凝縮して映し出す鏡、自分という存在が今日まで生きてきた証。そしてそんな子供が、明日を生きていく。子を残すというのは、この星に生まれた一個の生物として、自分という存在の確固たる証明を立てる行為に等しい。

逆に言えばそれまでの人生って子供(=明日)を残すためにあると言えるんじゃないのか、ということで。

恋愛の延長で子供ができるわけだから、歌詞の解釈として異性との出会いはもちろん含まれているとは思うんですが、本作のテーマからするとやっぱり親から子に対しての感情を歌ってるんだろうな、と。なにやら熱く語ってみましたが同様のことを思いついてる人は結構いる気が。

というわけで今作のエンディング(というかエピローグ)ではメインキャラの誰かに子供ができてるのではないかと予想してみる。役割から順当に行くとダイチとハナなんだけど、あの二人にそんな甲斐性があるとはとても思えないんだよなあ……。

あと、父親がやたらプッシュされるのに対して、今作では母親の存在感が割と弱めなのも気になってきたところ。そこのところは今後押し出されてくるのか、それとも触れずに進めるのか、どう転がしていくの? という期待。

そして次回、久方ぶりの眼鏡大活躍。