横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

『仮面ライダークウガ』を探る。 ~原点回帰と問題提起と、愛すべき説教くささ~

動画配信サイト・GyaOで先週からクウガの配信が始まったのでチェックしているのですが、まあ1週間に5話ずつってのは多いね。Youtubeで観ているキバ、現行の鎧武を合わせるとだいたい1日に1本ペースで平成ライダーを観てる現状。

 

それで、クウガって怪人のモチーフに結構初代ライダーからひっぱってきてるのが多いんじゃないかな、と思った次第。

クモ&コウモリは伝統としても、初代はサソリ怪人、カマキリ怪人、カメレオン怪人、ハチ怪人と続いてる。いずれも『クウガ』に登場したモチーフですね。サラセニアンはあれだ、バラのタトゥの女。いわゆる平成ライダーの一号として、リスペクトしてる部分は多いのではないでしょうか。

一方でクウガといえば何よりも警察。だいたいが立花のおやっさんだとかルリ子あたりが怪人の相手に駆り出されて死なずに立ち回れる、っていうあたり無茶苦茶なんですよ。その点、警察ならまあ当然の業務だと言える。

他にもクウガはとにかく理由付けをしてるライダーで、どんなにライダーが大苦戦しても次の回では綺麗に治ってたり、キックで怪人が爆発したり、といったことにもいちいち理由があります。「お約束」として誰もが見ないふりをしていたような様式に対する反論。

 

もともとヒーローものには少なからず、暗黙の了解や様式美的な要素を楽しむところがあります。戦隊ヒーローなんかまさにそうですが。この辺は時代劇の勧善懲悪ものの流れを受け継いだところが強いのかしら。

本作のプロデューサーである高寺氏はどうもそのあたりが好きじゃなかったようで、暗黙のうちに誤魔化していた「お約束」を次々廃止。同時に警察を導入したことで、かなり社会派という感じになっていきます。

クウガグロンギの戦闘は、新聞・テレビ・雑誌を騒がせる(この作中時代で2ちゃんねるみたいのが流行ってたらどうなってただろう)し。ライジングマイティキックで近所の住宅の窓ガラスが割れたらマスコミが総叩きを始めるし。

グロンギという悪に立ちふさがってみせたからといって、必ずしもヒーローの側が正義……というか「大義」を得られるわけじゃない。

そういうことを強く感じます。

 

これも警察に関係してですが、正義とか悪なんてのは仮面ライダーだけのものじゃない。ヒーローが関わるまでもなく、社会には悪が存在し、それに対抗する正義(あるいは、そう信じられているもの)が存在する。それが警察ですね。

この点において重要なのが第43話「現実」。

実加ちゃんのコンサートを聞きに出かけた一条さんが、立てこもり事件に巻き込まれる話。たとえば『スパイダーマン』や『バットマン』なら、いかにもヒーローたちが解決してしまいそうな事件ですが、犯人は一条さんの手で逮捕されます。

雄介もその場に現れはするものの、変身して犯人を叩きのめしたり、颯爽と人質を助けたりはしない。あくまでも社会の中で起きた事件とそれに関わる人間が、このエピソードの軸です。

「怖かったんです、すごく。その前に笑った顔の一条さん見てたから、たぶん余計に」
「でも、本当の一条さんだよ。そういう一条さんもいるんだ。でもさ、笑った顔も本当の一条さんだから」

実加ちゃんと雄介の会話。これを聞くと、一条さんにはいろんな顔があるってことがわかる。もちろん、いつも笑顔の雄介にだって、実はそうなんだ。人間なら当たり前。

複数の顔を使い分けるのは、何も変身ヒーローだけじゃない。いわば内面を変身させることは誰にでもできる。そうやって変身して、刑事としての腕を振るう一条さんは、立てこもり犯人という悪に対立する存在であり、社会に即した正義を持っている。

その姿に対して怯えを露わにする実加ちゃんの姿を通して、変身とか正義とか、ヒーローもので当たり前のように使われる概念に対して問いかけを発しようとしている。43話は一例ですけど、そういう雰囲気は『クウガ』全体を貫いている気がします。それがまた絶妙な説教くささをかもし出してる。

タイタンフォーム、刃物といういかにも直接的な暴力の象徴が活躍する回は(初登場といいジャラジ戦といい)シーン間に園児の戯れがしきりに挟まれたりして、時に「言いたいことはわかるけどさあ……」っていう鬱陶しさすら覚える。

でもそれも含めて『クウガ』なんですよね。

 

この辺りの問いは『クウガ』ではそこまで表面化することはなくて、あくまで問題提起にとどまってます。実質的には本作は、旧来の「勧善懲悪」という価値観から脱却できてるとは言えない。ここでクウガが特徴的なのは、敵の目的であるゲゲル(ゲーム)。

人を殺すことで成し遂げられる目的があるのではなく、大量殺人それ自体が目的。で、「人を殺してはいけない」という価値観がはびこってる人間社会からすれば、グロンギは議論の余地のない絶対的悪でしかない。

正義とか悪ってもっと相対的なんじゃないの、という話がアギト以降の白倉ライダーに任されることになるのは、平成ライダーファンならご承知の通り。