映画『イン・ザ・ヒーロー』感想 ~子供の頃から、ヒーローに憧れてた?~
たまには最新映画の感想でも。
というわけで見てまいりました『イン・ザ・ヒーロー』。
ネタバレしてるのでご注意。
あらすじー。
変身ヒーローのスーツや着ぐるみに入って、演技をする人々――スーツアクター。
この道25年のベテラン・本城は、四十路を過ぎても子供心の抜けない熱血漢。妻とは離婚し、娘には軽く見られ……とぱっとしない日々ながら、スクリーンに「顔出し」で出演する夢を追い続けていた。
そんなある日、ヒーロー番組『ドラゴンフォー』の映画に出演できることに。喜ぶ本城だが、撮影開始直前で若手イケメン俳優・一ノ瀬リョウに役を奪われてしまう。
リョウは「しょせん子供番組」と現場を舐めきり、本城をはじめとするスタッフにも横柄な態度を取り続けていた。本城はそれに怒りを覚えつつも、自分の信じる「あるべき姿」を説こうとする。
一方のリョウは撮影の合間に、ハリウッド映画のオーディションに挑戦していた。製作中のアクション大作に日本を舞台にしたシーンがあり、アクションのできる日本人が募集されていたのだ。
とある目的のために「必ずアカデミー賞を取る」という目標を隠し持ち、成功を焦るリョウ。だが本城やその同僚らと現場を共にする中で、勝手な行動から大きなミスを犯してしまう。
このままでは、ハリウッドのオーディションにも落ちる……。実力不足を痛感したリョウは、本城への師事を決意する。
そして本城にも、今度こそスクリーン出演のチャンスが訪れようとしていた――
「んー……?」と思う点もいくつかある映画でしたが、総合的にはかなり良かったと思います。
子供番組のスーツアクターを主人公に据えただけあってか、随所に垣間見える子供に対してのアプローチ、こだわりの要素が印象的でした。
劇中劇に過ぎない『ドラゴンフォー』を主題歌まできっちり作っていることをはじめとして、細かい部分にも気を抜いてないのが素敵。
ベストシーンのひとつとしては、
本城が「お前も誰かのヒーローになれよ」とリョウの胸を叩くカットで、姿は見えないながら子供の笑い声が入っていたところ。
本城を演じるのは唐沢寿明、かつて特撮ものの脇役やスーツアクターとして密かに活躍していた男。
リョウを演じるのは福士蒼汰、数年前に『仮面ライダーフォーゼ』主演で一躍人気になった男。
キャストの経歴が本編の役柄と微妙にかぶってるんだけど、いいのか。
すでに子供たちのヒーローになった男・福士蒼汰に、ヒーローそのものにはならなかった男・唐沢寿明から「誰かのヒーローになれよ」という言葉が送られるシーンは、ちょっと面白いところ。
いや、めちゃくちゃ燃える場面ではあるんですが。
個人的な不満点は、後半になってリョウの出番がどんどん少なくなっていくところ。
物語が後半に差しかかり、ハリウッド映画への出演が決まったあたりで、リョウの成長譚はほとんど終了。ストーリーはハリウッド映画で命懸けのスタントを依頼された本城の苦悩と挑戦に移行します。
後半でのリョウの行動は、本城を止めようとするも失敗し、本城の元妻と娘を撮影現場に連れていく……と、これくらい。
もちろんこれは、
リョウがずっと小馬鹿にしていた「裏方」を認め、裏方に回る……という成長を見せる部分でもある
のでしょうが、私は本作を本城とリョウのダブル主人公だというふうに見ていたので、ちょっとマイナス。
撮影に臨む本城に向けて「リーダー!」と叫んだのはいいシーンだったのですが、できれば倒れた本城のもとへ最初に駆け寄るのはリョウであってほしかった。
主人公二人の関係論にとどまらず、周辺の事情やキャラクターについても、要素が盛り込まれています……というか、むしろ盛り込みすぎのような。
メイン二人の描写はそれなりに細やかというか、丁寧なように感じるのですが、脇役に関してはあんまりひねりのない印象。
リョウの家庭の事情はまだしも、本城が決死の撮影に向かう裏で元妻がお見合いだか別の男性のお誘いだかに一旦は応じて、やっぱり本城を選んで走り出すとか、そこまでやるか、という感じ。
総じてわりとベタな展開やセリフが続くのですが、
ベタゆえに、ハマる人はこのうえなく「燃える」「滾る」
そういう映画。
ベストシーンはなんといっても、
本城のジョギングを追いかけてへろへろになったリョウが、頭を下げて弟子入りするところ。
これもまあベタなのですが、本城に全然ついていけないリョウの姿をじっくりと見せることで、「リョウが未熟な自分を認めた」ということがストレートに伝わってきたので。
本城が賽銭箱に小銭を投げ込んだところで、
リョウ「こんなの悪いっすよ。金出してもらって」
本城「出世払いだ。アカデミー賞取ったら倍返しで頼むな」
とか言ったらもう完璧。(※実際は言ってません)
あと、ハリウッド監督のキャラが
「俺はワイヤーもCGも使わずに長回しで殺陣を撮りたいんだよ!」とか言って本城にオファーが来るのに、
ラストの殺陣ではグリーンバック(CG合成のために使う)らしきものが見えたり、ワイヤーを使ってたのが丸わかりだった
のはアリなのか否か。
アクション映画を題材にしたアクションシーンを撮る、しかも作中においてはキャラクターがワイヤー・CG不使用を宣言してるという、構造的にめんどくさいシーン。
これはたぶん、どのレベルでリアリズムを語るか・求めるか、という問題なのですが、『イン・ザ・ヒーロー』の監督がどういう意図でやったのか気になる。