横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

「変身」を探る。平成ライダー編 ~それは、可能性の鬼~

仮面ライダーにとってベルトというのは、変身に必要な最重要アイテムです。ごく一部の例外はあるけれども、大半のライダーはこれがないと始まらない。

昭和ライダーと平成ライダーとの大きな違い、分け方は、この変身ベルトにあるのではないかと思います。

 

一号ライダーをはじめとする多くの昭和ライダーにとっては、ベルトは変身ツールであると同時に改造人間であることの象徴でもあった。彼らはライダーであること=改造人間であるという状態から自分の意思で脱することはできません。元の人間に戻ろうとするライダーもそう多くない。つまり、戦いからは逃れられない運命にあるんだ、ということになっている。

その一方で、平成……特に龍騎以降のライダーにとって、変身ベルトはあくまでも道具に留まっている。すなわち、その気になれば戦いをやめることができる、ということを意味している。『鎧武』4話で斬月に蹴散らされた紘汰があっさりドライバーを手放したのは記憶に新しい描写です。

 

この辺りは先日の「龍騎を探る。」でもちょろっと書いたところですね。実際、インペラーは戦いをやめようとしたし。次作のファイズでもベルトを捨てて戦いをやめようとする巧なんかの姿もありました。

結局、インペラーも巧も(ついでに紘汰も)戦いからは逃れられなかったわけですが、それでもベルトが単なるツールでしかなく、本気で逃げ出せば戦いから逃れられる可能性が多少なりとも残っているものだ、という希望は残されていたと思います。

もちろん作中ではライダーベルトから逃げ出すことに成功してしまってはお話にならないので、逃げ出そうとしたものにはしっぺ返しが待っていたり、結局また戦いに駆り出されることになるわけですが。

ベルトが完全に道具であるという発想、主張の弊害でもありますね。道具なら本来捨てることができるものですから。改造手術という、変身の不可逆性にライダーの魅力を見出していた向きにとっては、やはり龍騎ファイズは受け入れがたかったのかもしれません。

個人的には、道具としていつでも捨てられるからこそ、あえてそのベルトを手にして戦う変身者の決意とかそういうものが滲み出るんじゃないの、なんて思うのですが。

 

さて、龍騎からこっち、「その気になれば戦いをやめられるかもしれない」ツールあるいはガジェットとして描かれていたライダーのベルトは、『仮面ライダー響鬼』で大きく様変わりすることになります。

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ファンならご存知の通り、『響鬼』におけるライダー……すなわち鬼は、身体を鍛えることで鬼への変身能力を獲得できます。

つまり、仮面ライダーになるという行為が完全に能動的なものになってしまっている。

たとえば龍騎ファイズにおいては、叶えたい望みや主張があるから自発的にライダーになろうとしてた人ばっかりだったんだけど、「ベルトを手に入れる」という自分の努力だけではどうしようもない根本的な問題があったわけで、完全に能動的とはいかなかった。そこでたとえば巧なんかの「ファイズになれるから、変身して戦う」という能動的なアクションが絡んでくるわけですが。

龍騎ファイズにおいて、ベルトがただのツールと化したとはいっても、どこかに変身者の「ライダーに変身したい」という意思とは別の部分に依って立つところがあったのではないかな、と。ゆえに彼らは、まだ「仮面ライダー」を名乗ってもいいんじゃないかと私は思います。

 

ところが響鬼は、ライダーになるということがほとんど能動的なものになっています。それと同時に、やめることももちろん能動的になった。あきらや明日夢が最終的に鬼になることを諦めても、誰かに咎められることもなかったし、(やめることに苦悩したとはいえ)きっぱり新たに生きる道を見つけ出すことができた。

逆に、視聴者から見れば醜態しか晒していなかった「あの」京介でも一年鍛えた末に変身できるようになったし、その気になればライダーになることがさほど困難ではない(まあ素質なども要るのかもしれないが)世界です。

よく言われてることですが、『響鬼』はもともと仮面ライダーとして作るつもりの企画ではなかったそうですから、ある意味では当たり前なのかもしれません。

それでも最終的に仮面ライダーの名を冠して世に出た以上は響鬼も立派な仮面ライダーです。

ヒビキさんほとんどバイク乗らないけどさ。

響鬼は平成ライダーの中においてでさえもっとも異質な存在と言えるでしょうし、だからこそ後に繋がる可能性を切り拓いたのではないか。

『剣』までではめったに描かれることのなかった、なのに『カブト』第1話で描かれた、「ライダーになるために自分を鍛える、成長しようとする」という描写。天才俺様キャラをやっているように見える天道が、実は鍛錬を積み重ねた努力の人である。だからこそあの1話において、成虫ワームに対してマスクドフォームで勝利してみせることができた。

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もちろんただゼクターに選ばれただけの大介=ドレイクや加賀美=ガタックもそれなりには戦えるんだけど、天道があの番組の中であれだけの強さを発揮し続けていられるのは、ずっと鍛えてたからなんですよね。響鬼でそういう要素がなかったら天道のキャラクターや『カブト』第1話はああいう風にはならなかったんじゃないか、というのが私の持論です。

毎年のごとく賛否両論多い平成ライダーシリーズですけど、そうやってほんの少しずつでも新しい可能性を見つけてきたから今ここまで続いている。

そしてそれをまず最初に提示したのが、「改造人間」を禁止されて新しい変身方法を模索した『クウガ』。

と、こう考えるとなんだか感慨深いものがあります。平成ライダーにおける「変身」も、もうすでに一個の小さな歴史を作りつつあるのかなあ、と。願わくばこの先も5年、10年と見守っていきたいものです。