平成仮面ライダーを探る。共存編・その3 ~旅立ちはいつも必然~
まさか前回から5ヶ月も空くとは……!
いや自分がずっと先送りにしてきたからなんですけどね。
さて、こちらの「共存編」シリーズは、平成ライダーシリーズを
「人間と異形の存在との共存」
という視点からあれこれ考えてみようかしら、という記事です。
これまでの流れ(『クウガ』~『カブト』)については過去記事をご覧ください。
その1
その2
というわけで今回は『電王』のお話。
と言っても『電王』における共存うんぬんってのはまあ見ればわかる通り。
「ケンカもするし別れそうになることもある、だけど同じ時間を過ごしてちゃんと言葉を交わしていけば、相互理解できる」
ということで。
良太郎はモモタロスをはじめとするイマジンたちに憑依され、最初こそいいように身体を使われたりするのですが、紆余曲折を経て強い結束を得ていきます。
何よりも最終回の戦闘後のシーンがすべてを物語ってると思う。
「怪人軍団に胴上げしてもらってる主人公」って、文字に起こしても実際に見てもすごい絵面。
東映の大首領こと白倉伸一郎Pが手掛けたライダーの中ではずいぶんと明るい(救いがある、とは違う)作品なんじゃないでしょうか。これまでの作風が作風なだけに……ねえ……?
それにしても『電王』の面白さは、根っこの設定、イマジンという存在にあります。
イマジンは契約者に対して、まずコミュニケーションを取らなければ自分の存在を確立できず、なのにコミュニケーションしてもお互いに理解できるとは限らない。
ちゃんと言葉はわかるし意思疎通もできている。しかし聞き出した望みを自分の理屈で曲解して、勝手に契約を完了してしまうイマジンたちは、人間と相互理解しているとはとても言えない。
特異点という性質と、デンライナーという意思疎通の場が、良太郎とイマジンたちとの懸け橋となって、お互いを認め合えるまでになった。
あとはひとえに、良太郎の性格というか、精神的な強さ。
この辺は佐藤健の演技にも助けられていますが、良太郎の「気弱そうだけれども芯をしっかり持っている」「割とおっとりしていて気長」という性格はイマジンたちとお互いを理解していくうえで必須でありました。
裏返せば「とにかく頑固」だったり「不満を溜め込むタイプ」なわけですが、イマジンたちもまた、それぞれ自分なりに良太郎の表裏一体の性格を受け入れていく。
第4話「鬼は外!僕はマジ」はほんとに傑作。
イマジンの設定に関して付け加えると、精神体の未来人、というアイデアがまた秀逸。
たとえば『555』で巧が木村沙耶と猫舌どうしちょっと意気投合する、みたいな話がありました。怪人である巧と、人間である沙耶が、いともあっさりと相互理解を成し遂げた瞬間です(というとちょっと大げさか?)。
人間としての心を持っているかどうか、みたいな話も関わってきますが、要するに
共有できるものがあれば人間だろうが怪人だろうが仲良くなるためのとっかかりを見いだすことは可能
なわけです。
けれどもイマジンは肉体を持たず、また現代人と共有できるような記憶も持たない。ゆえにコミュニケーションはできてもうまく付き合っていけるとは限らないわけですね。
あとひとつポイントというか、「あーやっぱりな」と思ったのは、
最終回では良太郎がデンライナーを降りているところ。
相互理解はできる、けれどもずっと一緒に過ごせる(=共存できる)とは限らない……というところに、一抹のほろ苦さと、「でもきっとこれはこれでいいんだ」という清々しさを感じます。
えっ、電キバ? さら電? 超・電王? トリロジー?
きりがないので、後々の劇場版については考えない方向で。
さてお次は『キバ』なわけですが……えー、できるだけ早く書き上げて投稿します……。
5ヶ月空けることはたぶんない、と思いたい。