横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

仮面ライダーとの出会い、そして

 

ネット上にはブログなんぞそれこそ掃いて捨てるほど存在しているのですが、いざ自分が始めてみると毎日長々とブログを書く人のモチベーションというものはすごいな、ということを痛感。三日坊主にならないように、気を付けよう。などと言いつつ明日からしばらく更新できなくなるわけだが。

時代が望む時、ライダーは必ず蘇る

仮面ライダー「時代」というものと切り離すことができないヒーローだということは、横須に限らずけっこう感じている人がいる事実ではないでしょうか。

医療技術の発展など諸々の要因によって、今の仮面ライダーは昔ながらの「改造人間」を取り入れることが実質的に不可能となっているのはご存知の方も少なくないかと思うのですが、それはつまり作品の外側、番組を見ている我々の事情……「時代」によるものですよね。『語れ!平成仮面ライダー』掲載の白倉伸一郎氏のインタビューなどにも、平成ライダー最初期は(TVシリーズとして)十数年ぶりのライダー、という武器しかなかった、というようなことが書かれています。それはつまり、子どもの頃にライダーを見ていた大人をも相手にするということで。そうせざるを得ない「時代」を、我々視聴者の側が築き上げてしまっていた。仮面ライダーは過去のものとなっていた。

 

そんな中で始まったのが2000年の『仮面ライダークウガ』。今でこそ平成ライダーという一大シリーズとしてすっかり定着し、平成VS昭和などという映画まで製作されるほどの存在にのし上がったわけですが。作り手側の思惑だとか、規格の経緯だとかいうものを抜きにして、2000年のあの当時に、仮面ライダーというヒーローは果たして「時代」に望まれて蘇ったのでしょうか。リアルタイムで『クウガ』にハマりすっかり平成ライダーファンになった横須にとって、いまだに明確な答えやスタンスを導き出せていない長年の疑問です。

ちなみに横須の平成ライダー視聴履歴は『クウガ』から始まり『剣』の中盤で脱落、『カブト』中盤で復帰という、割と珍しい(のではないかと自分では思っている)パターンを取っています。久々にライダーでもちらっと見てやるか、とテレビをつけたらカブトの18話(非公式サブタイトル:さらばゴン)。ライダーシューティングをライダーキックで跳ね返してザビーに叩き込むカブトの勇姿に一発で陥落しました……。

 

始まるLegendNext Decade

数ある「ヒーローもの」の中でも、やっぱり平成ライダーシリーズへの思い入れは別格です。そういう人は、今の若い世代の中にも一定数いるんじゃないかなー、という気がしています。

日本の特撮ヒーローと言えばウルトラマン仮面ライダースーパー戦隊の三つだと言ってよいものかと思うのですが、ウルトラマンや戦隊は基本のフォーマットが出来上がっているんですよね。光の巨人が悪の怪獣と戦う、あるいはカラフルな5人のヒーローがチームを組んで怪人に立ち向かう、などといった具合に。ところが仮面ライダーにはそれがない。変身ツールがベルトで、それを巻いて複雑なポーズを取れば仮面のヒーローに変身する、というのはほとんどの作品に共通の事実ですが、ウルトラマンや戦隊のように半ば固定化されたフォーマット(制限と言ってもいい)が存在しない。作品の外側の事情についてはあれこれと言われる仮面ライダーですが、その中身については割と自由で、作り手に任せられています。この辺りのことももっと深く考えれば面白そう、と思うのですが、それはまたの機会にして。ともかく仮面ライダーは常にその作品内容において、挑戦とか冒険を(特に平成シリーズでは)強いられてくることになります。

現在15作品存在する平成ライダーの中で、あらゆる点で「保守的」な作品は存在しないと言っていい。(その成否はさておくとしても)毎年何かに挑戦して、冒険して、1年かけて作品を作り続けている。そうやって仮面ライダーが時代の要請に応えながら何かに挑み続けることで、特撮ヒーローという分野それ自体がとても大きなものを獲得することができたのではないかな、と思っています。

新しい視聴者層だとか顧客だとか、そういうこともすべて含めて、スーパーヒーローというジャンルの持つ想像力、可能性が、平成ライダーによってぐっと広がった。そしてこれからも、きっと何か新しい可能性を切り拓いていってくれる。そんな希望が、横須が平成ライダーを気に入って、視聴し続けている理由なのではないかと自覚しております。

 

個々の作品についても語りたいことは山ほどあるのですが、それはまた後日。