『キャプテン・アース』第4話感想 ~今日は眼鏡はお休みです~
アカリのサービスシーンの直後にハナのサービスシーンが挿入されることに、作為的なものを感じる。
親父が見ているのは今回もハナであり、アカリには「勝手に機械を触るな」という一言だけ。この親子色々とダメな気がしてきた。
HMV各店舗でなにやらパンフレット的なものを無料配布していると聞いたので、ちょっと行って取ってきました。メインスタッフへのインタビューと基本設定が掲載されていて、今回のエピソードと併せて色々と理解できた。専門用語に攪乱されているけど、わかってしまえばそこまで難しい話ではないのかしら。
さて今回明かされた新事実は、「キルトガングのアバターは人間としての自我を持った状態で生活させられているが、何らかのきっかけでキルトガングとしての意識に目覚める」ということ。敵の目的が「人間を食料とすること」というのもわかったし、捕食対象のことをよく理解するためにアバターがいくつも送り込まれている様子。
敵と同じ人ならざる身でありながら同胞を裏切って人のために戦う、というテッペイの境遇はモロに仮面ライダーなので個人的にかなり好みなのですが、抗えない殺戮衝動みたいなのがあるのかな。
青&ピンクはキルトガングとしての意識に完全に屈服しているようで、「キルトガングの快楽が云々」と言っていましたが、テッペイがそれに耐えられ続けるか否か、ということもポイントになってきそう。ダイチの声はいつまでテッペイに届くのか。
今回のベストシーンは、ダイチがテッペイにペンダントを渡すところ。啖呵を切ってライブラスターを撃つシーンもよかったのですが、印象としてはこちらに軍配が上がりました。
自分は人間ではないという自覚を得てしまったテッペイと、それでもテッペイはテッペイだと言って笑うダイチ。受け渡されるペンダント……。
いかにも健康的な人間、という色のダイチの手と、青白く人間離れしたものを感じさせるテッペイの手が同時に映るカットは、
(私が忘れてるだけでこれまでにもあったのかもしれませんが)
テッペイ=キルトガングが動かしがたい事実として提示された今回、何か大きな意味を帯びてきたように思います。
って、これ書いてて思い出したのですが、なんでこのシーンがこんなに気に入ったのかわかった。仮面ライダー555の映画『パラダイス・ロスト』に似てるんだな、この構造とかセリフ回しとか。あれも実にいい映画だった。
ライブラスター種子島、というセリフが今回あって、種子島だからキーアイテムが銃なのか、とは誰もが腑に落ちたところだと思いますが。
オープニングでダイチがいつも投げている、そして今回もテッペイの横に座るところで腰に吊るしていたブーメランは銃に対してどういう意味合いを持つのだろう、とふと考えてみたり。
ブーメランというのは一度放っても戻ってくるものですが、銃は撃ってしまったら戻ってこない、取り返しがつかない。そんな取り返しのつかない選択をこれからダイチは(キャプテンとして?)迫られていくんでしょうかね。もはやブーメランだけを投げていればいい子供ではいられない。