横須哲斗のごった日記

仮面ライダーを中心にまったり語るブログ。アニメ・漫画・小説・ゲーム・映画など諸々。

心機一転、4月スタート

今日から消費税もアップしたわけだが。1000円あたり30円の変化、と書くとそう大きな変化でもないように見える不思議。年単位とか長いスパンで見れば結構な変化になってくるのかな。

 『平成ライダーVS昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊

観てきました。映画の略称を『平成VS昭和』にすべきか『仮面ライダー大戦』にすべきかちょっと悩んだのですが、まあどっちでもいいや。

『オーズ』から始まった春のオールライダー系映画もとうとう4本目。『レッツゴー仮面ライダー』から毎年映画館に足を運んでいるんですが、今作はその4本の中では(個人的には)トップの出来栄えと言ってもいい作品に仕上がっておりました。

もちろん、ツッコミどころがないわけではありません。基本のストーリー自体はベッタベタだし、ヒーロー同士争ってたのは作戦でした、実はみんな隠れてましたってネタも『スーパーヒーロー大戦』でやっただろうが、と。ですが、オールスター映画ですから、そういう重箱の隅をチクチクつつくような真似をするのは野暮なんですよ。その辺を挙げて今作を叩いてる人がいたら指差して笑います。まあ、クウガ・キバ・ZOあたりのライダーが「その他大勢」になっているのはいかんともしがたい問題ですが。

 

さてそんな今作は、平成対昭和ということもあって、「世代間の争い、価値観の違い」というものに焦点が当てられる形となっていましたが。実はこの構造、以前にテレビシリーズでやってるんですよね。そう、我らが悪名高き『仮面ライダーディケイド』です。

『ディケイド』で各世界のキャラクターを演じたのは、ごく一部の例外を除いてリ・イマジネーションされた別のキャストたちだった。そこで当時も一悶着あったわけですが、このディケイドのリイマジライダーとオリジナルライダーとの争いというのは、「原作と二次創作」という対立構造であると同時に、「過去のライダーと現在のライダー」という対立構造でもあった。一番よく聞くのは「小野寺クウガなんぞ雄介とは認めん!オダギリジョーを出せ!」(極端な例ですが)みたいな意見ですが、これって「平成ライダーなんぞライダーとは認めん!昭和ライダーこそ至高!」とかいう連中と言ってることが一緒なんです。

そして、オリジナルライダー/昭和ライダー側に立っている鳴滝と、リイマジライダー/平成ライダー側の代表者であるディケイドのぶつかり合い、というのが『ディケイド』のある意味では根幹をなしていた要素なんですね。『ディケイド』のネットムービーで鳴滝さんがああだこうだと「おのれディケイドー!」叫んでいたことからもわかるように、鳴滝とは徹底してディケイドの否定者であり、原作(=オリジナルあるいは昭和)の肯定者である。

今回の映画で素晴らしいと思ったのは、ラストで「ライダーは素晴らしい」と笑った鳴滝と、「俺もそう思う」と士が答えたシーン。鳴滝が画面に映った時点で私は「まーた鳴滝が変な理屈をこねて別世界に消えるのか」などと勝手に予想していたのですが、いい意味で裏切られました。放送終了から実に五年近くを経て、ようやく『ディケイド』という物語あるいは『ディケイド』によってもたらされた対立構造が収束にこぎつけたのかな、と。ディケイドを演じた井上くんがキャストクレジットで最初だったことも納得です。

 

『ディケイド』関連の感想だけでずいぶんな量になりましたが、もちろんこの作品はそれだけの映画というわけでもなくて。本作にもプロデューサーの一人として名を連ねた白倉氏は、言うまでもなく平成ライダーの立役者です。白倉氏は今作で、「仮面ライダー」という存在への振り返りをしたかったのではないかと。それは平成・昭和というシリーズそのものに対してだけではなくて、自分たちが「生み出してきた」平成ライダーというものに対してのメッセージが込められているような気がしました。

仮面ライダーシリーズの中でハードな作品はどれだ、と聞かれたら、少なくない数のファンが白倉三部作(アギト、龍騎ファイズ)を挙げると思うんですが、その中でも特にファイズは抜きん出ていると思います。メインキャラの大半がオルフェノクであり、一度は死んでいる。そして仮面ライダーになれるのはそんな死者たちだけである。歴代で最も「死」の匂いが立ち込めている作品です。だからこそ「生」と「死」がテーマの一つとしてある今作のドラマパートのメインに据えられることは、むしろ当然だと言えるでしょう。

それでなくとも平成シリーズはとかく人死にが多いというか、死んでいった人のことが作品の中で後々引きずられる。『ダブル』なんかいつまでおやっさんのこと考えてんだよ翔太郎、くらいは言いたくなるレベルです。そしてそんな平成ライダー作品の「死者に対する姿勢」を決定づけたのは、やっぱり白倉三部作、とりわけファイズなんじゃないか。

「平成ライダーの死者に対する想いが一連の事件の引き金になった」という昭和ライダーの主張は個人的には割と腑に落ちるものでした。確かに白倉ライダーは闘争ありきというか、ぶつかってこそ見えてくるものがある、みたいなことになることが多いけれども、その中で命を落とす人々もいっぱいいたよね、と。

そしてそんな平成ライダーの最新作である鎧武、本編でもまさに同じタイミングで人の生死について悩みながら戦っている紘汰が、一輪の花という「今、生きている命」のために一号のライダーキックを真っ向から受け止める。そのオチは、映画館で最初観た時は「オイオイこれで終わりかよ」と思っていたんですが、時間を置いて考え直すと結構よくできてるモノなんじゃないのかなと。

昭和ライダー側が老害だとかなんだとかいう批判もあるようですが、今を生きながらも死んでいった者たちに思いを馳せる平成ライダーが、昭和ライダーとの戦いを経て、前を向いて生きていくための成長というか「変身」を遂げる……という流れは、なんと言うか私好みでした。決してお祭り騒ぎ的なバトルものが嫌というわけではありませんが、お祭りだけで終わるのもそれはそれでなんだか寂しいですよね。

 

長々と書きましたが、結局は「面白かった、観てよかった」これに尽きます。最終的な投票結果はまあ予想できていたことではありますが、平成エンドになってよかったというか、その方が落としどころとしてよく出来てるんじゃないかな、これは。とはいえ昭和エンドも観てみたいので、ブルーレイ買うかもこの映画。