『仮面ライダー鎧武』第45話感想 ~俺たちが最強の力 手に入れたとして~
対峙して変身する時、紘汰も戒斗も「変身」って言わなかったんだよね。
それがなぜか心に残っています。
もう人間ではないものに変身してしまったから、ということなのかしら。
というわけで、残る二人の対決にすべてを賭ける前に脇役を片付けておこうの巻。
ザックの最後の活躍が光りました。
序盤ではチンピラだったとか、ときどきネタにしてすみませんでした。
友人を裏切り手にかけることを悩むザックに対して、「あいつは最初に人類を裏切ったの。今のあなたは正義の味方よ」という凰蓮の励ましが物悲しい。
「正義」ではなくて「正義の味方」というところがポイント。
あくまで今ある世界、人間の定めた正しさに立脚しているわけですね。
自分が決めた思想や意見を「正義」と言い張ることはできますが、自分の意見の味方をしたところで、それは「正義の味方」ではない。
「正義の味方」というのは、他人が決めた価値観を正しいと認めて、その味方をすること。
それに則って、非道ではあっても戒斗を止めようとしたザックの姿勢は、称賛されていいものでしょう。
ただし、人間のままでは及ばなかった。
人間でなくなった戒斗を止めるためには、同じく人間をやめて、そのうえで人間の味方をする
それくらいでなければ足りなかった。
一方で、正しいか否か、というところにはあんまり価値基準を置かない男、戒斗。
「今の人間では決して実現できない世界を……俺がこの手で作り上げる」
「弱者が踏みにじられない世界だ! 誰かを虐げるためだけの力を求めない、そんな新しい生命でこの星を満たす」
おまえ弱肉強食が主義というか信条じゃなかったっけ、と思ったのですが、よくよく考えてみると戒斗が言う「強者・弱者」って2種類あるんですよね。
ひとつには物理的な強者・弱者。
もうひとつは、精神的な強者・弱者。
こちらで言うところの弱者は、主張を曲げて他人に屈するとか、卑怯な生き方をする者のこと。この理論においては、ミッチやユグドラシルは弱者であり、舞は強者となる。
で、「弱者が踏みにじられない世界」とは物理的な弱者が踏みにじられない世界なのかなと。力がなくとも、精神的に強い、信念を曲げない「強者」はたくさんいる。戒斗も、舞もそのうちの一人。紘汰もたぶんその一人。
「紘汰とか優柔不断の極みだろ」という意見もありましょうが、前話の記事で述べた「他人の過ちに対してノーを言い続ける」ということと、「間違えても苦しんでも何度となく立ち直る」こと、そういう強さを紘汰は持っている。
けれども戒斗が見てきた、生きてきた時代には、
精神的に弱くて敗れ去った人も、精神的に強くとも物理的に弱いというだけで淘汰された人もたくさんいた。
戒斗はきっと、それが我慢ならない。だからヘルヘイムの力をもって、そんな世の中を変えようとしている。
「今の世界でそれは無理だっていうのか」と叫ぶ紘汰だけど、確かに世のなか精神的な強さだけではやっていけないんですよね。腕力とか権力とか財力とか、そういう力は生きていくうえで必要になる。だからミッチなんかもそこに手を伸ばそうとしていた。
対する紘汰も、強さとは何なのか、正しさとは何なのか、その問いに答えを出そうとしています。
オーバーロード同様になった身体を実感しながら、
「これが正しいかどうかはわからない。でもな、今なら……今の俺なら正しい人たちの味方ができるんだ」
と述べる紘汰は、
肉体が人間でなくなっても人間の味方はできる、つまり心を失わずにいることができるんだという事実を体現している。
それが紘汰の考える強さのひとつの形なのかもしれません。
人間でありながら心を失ったユグドラシル、身体が人間でなくなって人の心を失ったオーバーロード、それらとぶつかり続けて見出した紘汰なりの強さ。
ストーリーも残すところあとわずか。
バトルシーンでCG怪人の皆様ことインベス強化体が総登場して、もう鎧武も終わりなんだな、ということを実感しました。
ドライブの予告見てもなんとも思わなかったのに……。